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2010年11月29日

広州からロンドンへ~田児とイケシオに宿った五輪への手応え - 高野祐太(フリーライター)

(※本ページは当サイトTOPICS内で、バドミントンに関する「言論プラットフォーム」とし、言論の場を提供し競技の普及・活性化を目指すものとする。)

 アジア大会は、男女の単複と混合ダブルスの個人戦、男女団体の計7種目を行い、女子シングルスの廣瀬栄理子(三洋電機)が銅メダルを獲得した。第1シードの●(さんずいに王)●(森の木を3つとも金に)ワン・シン(中国)との準決勝は第1ゲーム7―21、第2ゲーム15―21で失い、決勝進出はならなかった。それでも、世界のトップレベルが集まるこの大会での銅は、1カ国2人までの出場でも価値がある。
 
写真:廣瀬栄理子
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 また、同種目の後藤愛(NTT東日本)は、男子ダブルスの橋本博且、平田典靖組(トナミ運輸)、女子ダブルスの末綱聡子、前田美順組(ルネサスSKY)とともに8強。団体は男子がモンゴルとの1回戦を突破したが、第2シードで1回戦のなかった女子とともに準々決勝で敗退した。

 一方で、8強に届かなかったが、次への足掛かりをつかんだ選手もいる。
男子シングルの田児賢一(NTT東日本)21歳は、日本チームの若きエースとして好成績を期待されながら、まさかの1回戦敗退だった。8番目のシードが付いていたが、1ゲームも奪えなかった。田児らしいフェイントを効かせた相手を振り回すショットも時折出るのだが、続かない。本人も「集中力を100%出し切れたとは言えない」と完敗を認めた。
 
 それでも、光明は見える。負けた相手というのが、ノーシードながら最新世界ランクでは田児を1つ
上回る11位の朴成奐(韓国)。大会前まで1度もったことのない苦手の相手だったが、先に行われ団体戦の準々決勝では初めて負かしていたのだ。

写真:田児賢一
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 今、田児は新たな課題と格闘している。持ち味のさばきのうまさに加えて、プレーのスピードを上げる
必要性を痛感。世界の名だたる強豪を倒すには、正攻法の突破力が欠かせないと、チャレンジを続けている。 

強くそう思うきっかけがあった。今年3月の全英オープン決勝で世界1位のリー・チョンウェイ(マレーシア)を苦しめて日本人44年ぶりの準優勝。だが、9月のジャパンオープンでは、その世界王者に大敗を喫してしまった。そのとき、「(動きの)スピードを上げて、シャトルを上(の位置)で取る攻撃ができるように、練習を意識してやらなければ。少しずつでも進歩を止めないようにしたい」と語っていた。 そういう新たな形が「少しずつできたことが団体戦での勝因になった」と振り返った。そうだとするなら、この数カ月で半歩なり一歩は前進したことになる。

 高校時代に世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得した逸材。2010年の広州で負けたことは、2年後のロンドンのために無駄にはならないはずだ。

 混合ダブルスの池田信太郎、潮田玲子組(日本ユニシス)は、1回戦でインドペアを破ったが、2回戦は第8シードの中国ペアに敗戦。だが、1ゲームを奪取したことは収穫だった。 初戦にも増してコンビネーションがさえた。池田がスマッシュや直線的に打つドライブでゲームを作る。前衛に入った潮田が飛び込んでプッシュを決める。劣勢のレシーブから形勢を逆転してポイントを獲得する。良い流れがあった。ミスがなければ、もう少し相手を追い詰めることもあり得た。

写真:池田信太郎&潮田玲子
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 「いやー、なんかもうちょっとですね」。潮田は強豪相手に、ここまで戦えるようになったことに手応えを感じ、少し表情を緩めた。「世界との差が縮まっていることを、ここ1、2カ月の大会を回っていてすごく感じています。あとは(勝負を決める)最後の2、3点をどうやって取っていくかです」。 池田も感じ方は共通している。「ミックス(ダブルス独特)のやり方が分かって来た面がある。終盤を迎えたポイントで、上位者に対してまくれる力が欲しい」と語った。

 北京オリンピックの後に、それぞれ男子同士、女子同士のペアを解消。それをきっかけに、九州国際大付属高の先輩、後輩で混合ダブルスを組むことを決意した。この種目の難しさに苦しんだ時期を乗り越え、広州で大きな飛躍の一歩を踏みしめることができた。オリンピックでやり残したことがあるのだ。



●高野祐太(たかの・ゆうた)
1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルで活動するが、スポーツでは、オリンピック系競技を中心に取材。観戦チケット取材をした北京オリンピックでは、予感が的中して、世界1位の中国ペアをスエマエが倒した準々決勝を目撃したのが密かな自慢。
 
Photo: Badminton Photo
 

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