2016年08月27日

【リオ五輪】帰国後記者会見



8月25日、リオ五輪 日本人選手団が帰国、東京都内のホテルで記者会見が行なわれた。
それぞれの選手への質疑応答を記載する。


高橋礼華/松友美佐紀(日本ユニシス)


――オリンピックのメダルは今までの優勝と異なりますか?

高橋「やっぱり世界ランキング1位と、世界1位は全然違うと思う。今までは世界ランキング1位と言われるのがつらかったんですけど、オリンピックで一番になれたということは真の世界一になれたということ。ランキング1位よりも本当に世界で一番になりたいと思ってやっていたのでうれしいです」

松友「ずっと2人でオリンピックの金メダルを獲りたいという目標を立てていたので、他の大会とは違ううれしさがあります。オリンピックでは誰もが勝ちたい、金メダルをとりたいと思っているので、そのなかで自分のプレーを出せて勝てたことはうれしいです」

――オリンピックで知り合いは増えましたか?

高橋「はい。選手村でもハイパフォーマンスセンターを作ってもらって、私は交替浴をしたり、食事を摂ったりしていたのでそこでいろんな競技の方と知り合いになって。昨日と今日もいろんな方と話すことができて、バドミントン以外の人と競技以外のことを話すのも楽しいと感じました」

――印象に残った選手は?

高橋「自分の試合が終わったあと、陸上の試合を観に行って、リレーをはしゃぐくらい応援して楽しかったです」

――バドミントンに参考になるような話は聞けましたか?

高橋「それはないですね。バドミントンのことを聞いてくれたり、私もルールとか興味のあることを聞くくらい。でもたくさんの方が『バドミントン、おもしろいから観たい』と言ってくれたので、ヨネックスオープンジャパンを観に来てくださる方もいると思います」

――選手村では他の選手にバドミントンをアピールできた?

高橋「アピールはしてないんですけど(笑)、選手村で観てくれたんだと思います。終わったあと、すれ違ったときに『おめでとうございます』と言ってもらいました」

――オリンピック会場の雰囲気は違いましたか?

高橋「他の国際大会だと簡単に家族が観に来られることはない。でも家族や日本ユニシスのスタッフや社長が応援に来てくれて、試合を観てくれることがすごいなと思いました。逆に会場の作りはオリンピックっぽくなくて、逆にリラックスした雰囲気のなかでできたかなと」

松友「家族や会社関係の方に来ていただいて、対戦する相手のご家族や応援団も来ていらした。必ず互いの国同士の応援団も戦っているみたいな雰囲気で、それがオリンピックって感じがしましたね」

――松友さんのご両親も来ていました。試合後、会えましたか?

松友「はい。翌日に。メダルをかけて写真を撮りましたし、おめでとうと言ってもらいました」

――これからは世界ランキング1位に加えて、オリンピックチャンピオンという肩書が付きますね。

高橋「世界ランキング1位になっても追われる立場だと思ったことがあまりなくて、普通に今まで通りにやっていくのが一番だと思います。それと松友にも言ったんですが、林丹選手だったら、オリンピック、全英、世界選手権、国別団体戦とすべてタイトルを獲っている。自分たちもそういう選手になりたいなと。団体戦は自分たちの力だけではどうにもならないけど、やるからには世界一になりたいと思っているので、いまはタイトルを獲ることにこだわりたい。自分のなかで世界選手権が一番獲りたいタイトルです」

松友「私は肩書きをまったく求めていないわけじゃないですけど、できなかったことができるようになったりが楽しくてやっているので、これからも突き詰めてやっていきたいです」

――4年後の東京オリンピックについて。

松友「本当にオリンピックで金メダルを獲りたいと思って長いことやってきました。この4年間がどれだけ大変かが分かっていますし、終わった直後にやりますとは言えません。世界選手権ではベスト8にも入ったことがないので、まずは来年の世界選手権でいい成績を残したいです」



奥原希望(日本ユニシス)


――表彰台で銅メダルをもらったときの思いは?

「表彰式でメダルを首にかけてもらったときは重いなと。今までもらったどのメダルより重い。それがイコールじゃないですけど、オリンピックのメダルは特別だなと感じました。でも、やっぱり一番上に立ってもらいたかったという悔しい気持ちはずっとあります」

――オリンピックは他の大会と違いますか?

「重さもそうですし、雰囲気も違う。4年に一度しかない誰もが目指しているこの大会はやはり違います」

――準々決勝の山口戦で1ゲームを取られた場面について。

「自分が勝手にプレッシャーをかけていたというのもあるし、いろいろな人の期待を背負っているなかで、結果を出したいという思いがあった。あの場面が一番、向かってくる相手に対して受けて立った苦しい場面でした。でも、いつもだったら去年の世界選手権のときのように流れが悪いまま終わってしまうのに、しっかり冷静になって自分の流れにもってこられた。この1年の進歩したところじゃないかなと感じました」

――山口戦を振り返って。

「茜ちゃんは今まで対戦したなかで一番私に勝ちにきていた。素直にうれしかったですし、茜ちゃんのプレーで勇気をもらった。茜ちゃんも気合を入れて真正面からぶつかってきてくれた分、正々堂々と自分も力を出し切ってぶつからないといけないと思いました。目が覚めた感じです。

プレー的には互いに分かっていて、私は粘って粘ってラリー戦をして、茜ちゃんも同じ身長なんで、粘るのをベースに要所で攻撃的なプレーで点を取りに来る感じ。前半はすごくスピードが速くて、かけひきが茜ちゃんのほうが一枚上手で進んでいたので、うまいなと感じました」

――自分らしいプレーができ始めたのは?

「2ゲーム目の途中からですね。出だしは五分五分だったと思います」

――準決勝を振りかえって。

「出だしから相手の作戦に対して、うまく対応できなかった。後半は対応したかったんですけど、スピードを上げられなくて…。逆に相手にスピードを上げられて、最後は無抵抗で終わってしまいました。本当に悔しかったですね。もっと自分のプレーをして、同じ負けでも自分らしいプレーで終わりたかったです」

――相手の棄権が分かったのは。

「試合が終わってタカマツさんたちを応援してからちょっとしてですね。噂で…かもしれないという曖昧な情報が入ってきて、でもその情報は耳に入れず、試合に集中しようと思っていたんですが、夜、正式に中国側が発表しました。本当に喜べなかったです。終わり方が納得いかないといったら変ですけど、勝って終わりたかったですし、これで銅メダルか…という気分でした」

――不完全燃焼な分、すぐ次に進めるともいえる。

「そうですね。今まですべてオリンピックのためにやってきて、オリンピックで燃え尽きた感じになるのかなと思っていましたが、試合が終わってすぐ次と思えたので、東京に向かってはいいスタートが切れたのかもしれません」



山口茜(再春館製薬所)


――初めてのオリンピックはどんな場所でしたか?

「正直なところ、自分のなかで特別感はそんなにありませんでした」

――そんなに緊張しなかったということですか?

「そうですね」

――奥原希望選手との準々決勝のあとに流した涙の理由は?

「なんでですかね。自分でもよく分かんないですけど、もちろん負けた悔しさもあると思います。自然にって感じです」

――奥原選手のメダルは触りましたか?

「触ったかな…かけてはいないです。金メダルは触らせてもらったんですけど、(銅メダルは)触ったような、触らなかったような」

――金メダルの感触は?

「よかったです」

――高橋/松友ペアから触る? と言ったのですか?

「触っていいよ、という感じだったと思うんですけど」

――女子ダブルス決勝の大逆転勝ちを見て感じたことは?

「周りの人から勝って当たり前と思われるなか、その通りに勝ってすごいと思います」

――奥原選手の準決勝はどこで観ましたか?

「観客席で」

――自分だったらこう戦うというようなことを思い描きながら観ましたか?

「はい」

――結果的に奥原さんが銅メダルを獲ったことについて感じることは?

「銅メダルは普通、勝って終われるのですっきりするものだと思う。でも今回、相手の棄権で負けて終わっての銅メダルで悔しいと思います。自分もメダルを獲れなかったというより、負けて悔しいという思いがある。でも二人ともまだ若いですし、これからも切磋琢磨して頑張っていけたらと思います」

――大きな声援をどう感じましたか?

「地球の裏側まで行って、応援してもらえる人がいてすごくうれしかった。決勝トーナメント1回戦は、応援のおかげで積極的に勝負しに行けました」

――今したいことは?

「お茶漬けが食べたいです。ブラジルというか、日本以外の国に行ったら、本当の日本食が食べられない。お茶漬けがけっこう好きなんで食べたいなと。種類は何がいいですかねえ…漬けマグロ…かな。インスタントのも好きですけど、向こうでも食べられたので」

――ハイパフォーマンスサポート・センターは日本食も充実してたはず。気に入らなかったですか?

「気に入らなかったということはないですけど…」

――オリンピックに出たことで、4年後に対する意識は変わりましたか?

「4年後に向けては何も考えてないです。4年後というより、次の試合に向けて頑張ろうという感じです」

――次というのはヨネックスオープンジャパンのことですか?

「はい。去年、自分らしくプレーできたので今年もできるだけ多く試合ができるように頑張りたいです」

 

 

早川賢一/遠藤大由(日本ユニシス)


――大会を振り返って。

早川「しっかり準備して、前半は自分たちの最高のパフォーマンスが出せました。後半は自分のケガでああなっちゃったけど、2試合は結果に結びついたのではないかなと」

遠藤「僕もそうですね。予選リーグを突破しようという気持ちでいったので、その通りになってよかったなと。負けましたけど、出し切りました」

――悔いは?

早川「自分の不注意でケガをして、リオニーさんや遠藤に迷惑をかけて悔いは残るんですが、そのときできるパフォーマンスはできました」

遠藤「早川がケガしたからと、自分が余計にやりすぎたのが今はちょっと悔やまれる。ケガしたから負けたという気持ちはないですね」

―― “不注意で”と言うのは?

早川「ぎっくり腰で突発的だったので不注意といっていいのか…。防ぎようがなかったのですが、やはり不注意だと思います」

――一番、気持ちよかった決め方は?

早川「僕はインドネシア戦の最後にプッシュで決めたときが一番気持ちよかった」

遠藤「トータル的に自分はあまり決めてなかったんで。勝った瞬間が一番よかったです。普段から早川のほうが決める割合が高いんですが、今回、(いつも以上に)早川が決めることが多かったですね」

――自分たちの最高のパフォーマンスができたというのは、いわゆる“ゾーン”に入った感覚でしたか?

早川「僕はゾーンに入ったとかではなくて、練習でやってきたことを出せたのがよかった」

――表彰台に上がった選手たちを見て、スーパーシリーズとオリンピックは違うと感じましたか?

早川「男子ダブルスは世界ランキング1位、2位が負ける混戦だったので、そのなかで勝った人たちをすごいと思いました」

――初めてのオリンピックの舞台は?

早川「緊張すると思ったんですけど、試合がすごく楽しかった。集中できたし、練習でできていたことをやれている感じがあった」

遠藤「思ったよりも緊張しなかったですね」

――今後について。

早川「全然、考えてないです。まずは休みがほしいなと」

遠藤「一緒です」

――ヨネックスオープンジャパンに向けて。

早川「ケガで最高のパフォーマンスができなかったので、日本のファンの方々に自分たちの最高のパフォーマンスが見せられるように頑張りたいです」

遠藤「合宿でしっかり頑張ります」

 

数野健太/栗原文音(日本ユニシス)


――大会を振り返って。

数野「予選リーグ突破を目標にやってきて、本当に実現できました」

栗原「目標にしていた予選リーグを突破でき、この1年間のことを出し切ろうと思いました。最後は完敗でしたが、予選と決勝トーナメントを通して、自分たちの力を出し切れたかなって」

――初戦のオランダ戦を突破できたことが大きい?

栗原「他の国の選手と比べて、現地で練習できる日が長かった。1試合目が勝負だと思っていたので、緊張すると思ったけど、相手のほうが緊張している感じでしたね。自分の持っている力を出しろうと思ってコートに入って、最後まで自分たちのプレーをして勝ちきれました」

数野「出だしから先手をとって出だしにリードできたので、精神的に少し楽になれて試合に集中できました。オリンピックレースが終わってから、朴柱奉さんにレシーブ面で指摘を受け、練習していたんですが、オランダ戦ではそこのミスが少なくできたことが一つの勝因でした」

――今後の進退について。

数野「オリンピックのことだけを考えていたので、今後をどうするかはこれから考えます。僕の年齢的なこともありますし…(30歳)。とりあえずヨネックスオープンジャパンが迫っているのでそこに向かって、今回のパフォーマンスを出せるようにしたいです」

栗原「私も数野さんとオリンピックを一番に考えてきたので、どうなるか分かりません。でも、もうちょっとミックスを頑張りたいなという気持ちがありますね」

――それは数野選手でなくてもという意味ですか?

栗原「パートナーとしてミックスをやってきてオリンピックも楽しめたので、一番は数野さんとまだできない部分を突き詰めたい気持ちがある。ただ、数野さんが言ったように年齢のこともあるし、チーム事情もあるので…」

――ロンドン大会に出場した池田/潮田ペアの成績を越えたことについて。

数野「池田/潮田ペアが成し遂げた偉業に比べると、僕たちはまだまだ足元に及ばないですけど、オリンピックに関しては2人を上回る成績を残せたので素直にうれしいです。やはり日本ではミックスがそこまで重要視されていないので、1年4カ月で僕たちがここまで来られたということは、東京五輪でもしっかり作り上げればメダルは狙える種目になるということ。そういったところで協会に協力して、若い世代につなげていきたいです」



佐々木翔(トナミ運輸)


――出場から大会を振り返って。

「この4年間は、本番(リオ)で戦うのを想像しながらやっていました。やってきたことについては、オリンピック本番での試合を自分で評価して、どこが進化したかを考えていこうと思います。練習でできていても、本番でできなかったらそれはできていなかったことになるので。

ロンドンの頃に比べて、年齢のせいかスタミナとパワーが落ちている気はしますが、そのぶん技術を磨いてきたつもりです。体の使い方を含めて、(リオでの)2試合は、伸びていたなと。ただ結果は…それ以上の準備はできないんですけど…スタミナ不足でした」

――イギリスの選手のパフォーマンスもよかった。

「相手は2日間、空いていますし、シード選手で自分の研究もしていた。自分はどこまで体力が続くか分からないけど、2試合しっかり戦いきろうと思っていました。1試合目に余力を残してということではなく、しっかり出しきって2回目も残った力で頑張ろうと」

――悔いはないですか?

「十二分にお腹いっぱいやらせてもらった。まったく悔いは後悔ないですね」

――現在、技術的に成長が感じられるなかでもやり残したことがないと言い切れますか?

「オリンピック前の準備で体も上がってきて、今までにない自分のパフォーマンスが実感できて、すごいことだなと思ったんです。でもそれってオリンピックを控えていたからこそ。このまま(現役を)続けても気持ちが上がるのに時間がかかるだろうし、技術的に厳しいだろうというのがあります」

――佐々木さんにとって、オリンピックの特別感とは?

「奥原とも話したんですけど、いつもと食生活とか運動量は変わらないのに、体脂肪や体重が落ちたりするのは、たぶんオリンピックが持つ不思議な力なんだろうねって。どこかでいろんなことを多く考えたり、夢の舞台だと意識したり、単純に考えることが多いからカロリーを消費するというのもあると思う。でも、たぶんそれ以上に何か不思議なものがあって、人によっては余計に力が入ったり、自分も頑張れた。みんなにとって特別な舞台なんだと思います」

――ロンドン五輪と心境の違いは?

「ずっとオリンピックに出たいと思ってやってきて、30歳のとき、初めてロンドン五輪に出ました。このときはすべてが初めてだったので圧倒されっぱなしで…。でも今回はだいたい雰囲気もわかっていたので、向こうに着いてからは試合を頑張りたいなという気持ちだけでした」

――今後、指導者としてどういう選手を育てていきたいですか?

「これからの話ですが、選手それぞれに目標があるはずなので、自分から引っ張るのではなく選手として精神的に自立してほしいですね。人間性が大きくしておくことは、選手が終わったあとにも関係してきますから」

――桃田選手が世界ランキングを外れてから、代表に選ばれた気持ちは?

「自分が走り出して頑張ろうと思ってからは、自分のオリンピックだと思って頑張らせてもらいました。でも最後まで桃田の代役という形で報道されましたね」

――長い間、男子シングルスを戦い続けて思うことは?

「高校のときからずっと林丹選手(中国)を追いかけ、バドミントンとの向き合い方や楽しみ方を教わった。リー・チョンウェイ選手(マレーシア)もそう。芸術作品のような人たちと少しでも関われたことが競技人生の財産。林丹選手に会わなかったら、たぶんブレていたし、彼がいたからしっかりバドミントンと向き合って来られました」


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